自分らしさを貫く遺言

本居宣長、この人の名前を一度は誰もが聞いたことがあるでしょう。医師として生計を立てる傍ら、国学者として生涯を研究に捧げ『古事記伝』などの執筆を残した国学者です。宣長の遺言書が本居宣長記念館に伝わっているのですが、これがまた独特とも言える内容です。家督や財産の相続といった、普通なら書かれるべき内容はそこそこに、墓の詳細なデザイン、棺に納める時の身なりや戒名の指定、法事や墓参りの仕方に至るまで、それこそ微に入り細に入り書き連ねてあります。

それはまるで自分の死と、死後に起こる一切の出来事を取り仕切るための指令書のようです。生前宣長は死のことを「日本に伝わる伝説によれば、人はみな、身分や行いの善し悪しにかかわらず、死ねば必ず暗く汚い黄泉の国に行く。死は悲しいものだ」と残しています。国学者ゆえ仏教的来世観など微塵もありませんが、当時は「仏式」の葬送が当然の時代でもあります。

宣長は常識人でもありましたので、世間並みの墓は建てようと思ったようです。どうしても自分にふさわしい墓を作りたかったのでしょう、宣長は2種の墓を設けるという奇抜な策を取りました。まず菩提寺にいわゆる一般的な墓を1つ。そして山室寺には自分の思う通りの「奥墓」(神道で神霊を祀る場所のこと)を1つ建てて「自分の亡骸は奥墓に土葬すること」と指示を出したのです。

これこそ宣長の本命墓です。遺言に見られる奥墓への情熱はすさまじいばかり。花筒は置くな、塚の上には吟味した山桜を植える等、墓のデザインまで遺言書に残しています。宣長の死の半年前、究極の墓は完成しました。

自分を慕って来る人や弟子には奥墓に参るようにと遺言しています。死んでなお、自分が生きた世界で自己主張しアイデンティティを保ち続ける。宣長の遺言書には自分らしさが貫かれていると言えるでしょう。

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